蛙声の游び場 蛙声(あせい)=馬場駿  
💛折々の至言「愚直な人間は、自分から逃げられない」(開高健) 
🎶photo (蛙声撮影)  ①相模灘 ②福寿草 ③甲斐駒ヶ岳 ④発行本4冊 ⑤佳江画 ⑥デコイ画 ⑦写真で絵
index戻りは右記経由で    ページ1  岩漿文学会新編  ページ2 心の旅  
(^^♪読んで頂きたい推しの小説探訪
蛙声 この◆の後ろの№は、優先順位として掲げたものではありません。一括りの中の作品の大まかな色を表しています。ここでは私の全作品の中から特にまずは覗いていただきたいという著者の推しで、長編・中編・短編をご参考までに掲げています。でもやはり(◆1・が今の私にとって1番の推しです。あと、創るに思い出深い4作品をこのページの中ほどに集めてあります。すべて青字の小説名をクリックすると作品がでてきます。ぜひお訪ねください。
 ◆(7・作者を探訪) ◆長編/但し1章のみ➡ 『孤往記』 伝記風に描いた小説です。本当の伝記では誰かが傷ついたり己を飾ったりする恐れがあるので実は「小説・孤往記」なのです。ただ、主人公の青年駿の親族や彼に絡む5人の女性たちは全く虚構ですが、昭和の大都会で貧しく1人、独学や食住のために労働し、悩み迷い、傷つく姿は作者が実際に通ったそれに酷似しています。amazon通販になったのでここに全文載せることはできません。 ◆短編➡ 『雪積む樒』 私と母との少しく珍しい親子関係を小説の形をとりながら描いたもの。母が平成元年に逝去したあとで長兄の依頼により、母手書きの自伝を編集し、全文に亘って校閲した小冊子『しきみのように』をきっかけに妻との会話の中で母を回想したという描き方をしています。◆短編➡ 『朴の葉の落ちるころ』   里山で独り暮らしていた長兄の依頼により、緑内障の手術を受けるまでの顛末を実話に限りなく近くして創った小説です。死後も遺っている彼のHPに彼自身が載せていた作品です。
  (6・老いの形) ◆中編➡『耄老の 海』 (ぼうろうのうみ)昔君の命を救ったのだからその命を、俺と一緒に・捨ててもいいだろう。還るという謎の言葉で呼び寄せられた医院の柱である老女佳江。現地の民生委員と共に訪れた男の住まいは海辺の廃屋だった。瀕死の男のために知恵を尽くす私は何物?心中を拒み余生を見直す佳江は強かった。◆中編➡ 『未開封』 (前編)養老施設に住む老女は再三再四送られてくる男の手紙の開封を頑なに拒み自分の難病と闘うことに集中していた、自分自身なぜなのかを引きずりながら。➡(後編)『未開封エピローグ』 本当に元カレは逝ったのか入院中の看護師長からの連絡を受けて老女は謎解きのために現地へと向かう。前編の?を全て回収する追補編。 ◆短編➡ 『耄(タナトスの抱擁)』 数十年ぶりに実兄の住む山荘を訪ねた妹は他家の養女として裕福に生きてきた。迫りくる余生の終りを前に孤独な兄は寂しげに言った、未だに3次元の女を見たことが無いと。
  (5・「おしごと」)長編➡ 『キルリーの巣窟』 前職の銀行の頭取から或る観光ホテルの人材調査を依頼された才媛小糸の職務を超えた奮闘を背景に、後ろ向きにしか飛べない人々の救いがたい心の闇を描きます。しかしそれは同時に小糸本人のトラウマに直結していました。企業小説の形をとった心理小説と言えます。  ◆中編➡ 『超克』 貧しい老夫婦の夫が脳梗塞として緊急入院、そこでの担当看護師との間の心の交流と双方の自己再生の経過を綴ります。病状やリハビリその他の記述については私の実体験がモデルとなっています。  ◆短編➡ 『身一つ庵』 仕事と家庭に疲弊した男が自暴自棄になり伊豆の小規模旅館に一夜の宿を求めますが、そこでのサービスの良さに疑念を持った彼は聾唖の女将にいやがらせを続けます。鬱屈した男の惨めさを受け止める宿主の応接に頑なな心を解いていくいく彼。病む心と言うものの痛さを見詰める話です。
  (4・プラトニック) 長編➡ 『文の小径』 大都会を捨てて里山に移転した画家の父にしたがって文筆家の母、姉の麗花と共に里山に入った病弱の文香は、父母のアシスタントの足立に淡い恋心を持ち始める。父母が相次いで亡くなると姉妹の心にある危険な隙間が広がっていく。心臓病で性的行為が命取りになりかねない文香を襲う足立と姉麗花の騙しと裏切り、そんな中で哀しくも直ぐに生きようとする女性を描く小説です。この話には後日談として少しく恐ろしい短編◆➡ 『一人静抄』 があります。ラストシーンで麗花の生死を占うのは読者です。ちなみにこの小説舞台の里山のモデルは冒頭の3枚の写真の真ん中にあります。 中編➡ 『冷川峠』  冬の峠道で助けてもらった青年を忘れられず恋心が静止画面のように固定している女性を好きになる気の弱い医師。二人の間に入ったのは商店街の蕎麦屋の親父。ほんのりした小さな恋バナをユーモアも入れて語ります。 短編➡ 『くぐもり声』 山で偶然に出会った女の子に恋心を抱いた青年だが、仕事中に仲間を注意している少しの間に起った労災事故、彼は丸ノコの刃で数本の指を失い絶望するに至る。彼女の手紙に励まされるが終には、雪模様の中、彼女との出会いの場所へと独り逃げ込む。死を見つめる彼を操るのは現実なのか妄想なのか。間際に目にした雪中の彼女は?
   (3・愛と言う名の狂気) 長編➡『夢の海』 人気女流作家で福祉にも貢献し養護施設から養子を迎えるなど人格者として著名なヒロイン。実は兄とともに父母に捨てられ寺の子として育てられたことが数奇な運命の発端、連続犯罪の一因となる。不可罰的な犯罪は正義なのか、愛の強さは罪さえも飾るのか。秘密を守るために犯し続ける言わば正当防衛的な罪の是非。この作品は多岐多様な愛の形態を描きながら進めていく推理小説です。  ◆中編➡ 『入相の鐘』 一発屋と言われて苦しむ画家と純文学を捨てた流行作家が別居、その微妙な愛憎のはざまに現れた若くて奔放なモデルが織りなす危ない関係。激励が命令に、いたわりが侮蔑にと心の中で変化する夫婦の複合感情。はてその結末は。狂気かどうかをお確かめください。 ◆短編 『薪樵る』 北鎌倉駅に降りて待っていた薄くかすんだ女は、かつて男の腕の中で熱く燃えた彼女なのか、問う己は心の隅に追いやり、そのまま連れ立って鎌倉巡りを始める。彼が発している声はただの独り言か、昨夜心の凍った妻を此岸から遠ざけた罪、の意識が、いまはこの世に居ない熱い女への想いに拍車をかける。次第に姿が消えていく女を追って男は惹かれるままに近づく電車に身を寄せていく。このダメな男の妄想は愛すべき狂気かもしれません。 ◆短編➡ 『優しい姫鼠』 観光ホテルの一室で哀しく散った若い従業員、その姿に自分のあるべき姿を重ねる訳アリで年配の上司は、無警戒に現れる姫鼠が彼女の化身であると思い心惹かれる、さらに死因を知った彼は、自分を裏切った元妻の姿と対比して純な己に戻り秘めていた或る決意をする。この短編は心というものの不思議さを扱っています。
(2・警察もの3態) 長編➡『罪の連環』 犯罪ものですが追う側の警察の視点で書き進めています。そのため多少窮屈な展開になるわけですが、警察組織の制約と法の求めに因る制約のため巧妙な連続犯罪の解明が遅れ被害者が増えていくという結果に陥った3人の捜査官の苦心と苦悩を中心に描いています。TVドラマ構成に近いのでお楽しみいただけると思います。◆二作を繋ぐ長編➡ 『狗に非ず』 警官の元妻を襲った事件、それを調べた元夫の凄腕警官 が国をも脅かす大事件の中に足を踏み入れます。二つの毛色の変わった小説がいつしか一つの陰謀を映し出すというハードボイルドな経緯をお楽しみください。これもドラマ的です。◆短編➡ 「心の音」 この短編もこのページには出していませんでしたのでご紹介いたします。クライマックスでは、被疑者の女性と一般人の夫人が警察の取調室で対峙します。さらにラストシーンの一行で伏線は回収されます。犯罪小説なのに人の心の音がメインです。   
(1・生きると活きる) ◆長編➡『無彩色の森』 脳梗塞退院後人生最後の長編として1年半を費やして完成稿とした作品であり、私の全創作の底流にある家族って何、愛って何、生きるって何というテーマのすべてを盛り込んだ小説になっています。のどかに始まり息つくのも苦しい展開が始まります。もしかしたら全編読者に問いかける形になるかもしれませんので読んで楽しくなるという内容ではありません。推理ものという捉え方は可能です。本作の読後感想は下記のリンクからどうぞ。長編の全体像がつかめます。◆中編➡『傾いた鼎』 誰も傷つけないで全うできる青春なんてあるのか。丸みをおびずにひたすら進むその先にあるもの、それは予想だにしなかった罪や自己破壊、軽くて孤独か、もしかしたら成長も? この作品は人間の本音の怖さを俎上に載せたかったのかもしれません。それらが書き方や視点を三つ必要とした所以です。◆中編➡『ヘクソカズラの遺産』 推理ものという性格なら本作も該当します。前婚のトラウマから夫婦生活を拒み続けた妻に対し自死する際に遺産を謎解きに絡めた夫。夫の関係者の支援も空しく頑なに自分本位を貫く妻における結婚とは、愛とは、何だったのか。読者にもその判断を求めてきます、あなたも解析してくだされば嬉しく思います。 ◆短編➡『逮夜の女』 じつはこのページの17作品の中には入っていません。なのでコメントなしでリンクをはっておきます。短編の中では私自身一番好きな小説です。
  読後感想例 (私が実際に頂いた文です) ➡ archive
💛素人作家が自分で私家版の制作に挑んだ  ◆単行本作り 自作の小説を単行本にしたい。 私がその「夢」を実現するには資金不足と言う絶対的な壁がありました。 現実を知ったのは所要15年という処女長編小説『小説太田道灌』を低予算で計画し、電子データありと言うことで、東京で働く友人に出版社の見積もりを取ってもらい180万という金額を知った時でした。 家計に無関係な私個人の貯金で済ます以上、即刻諦めたものです。 ただ数年を空けて一計を案じ、校正・校閲、ページ設定、ノンブルも付して一人で版下を制作、印刷と製本だけで見積もってもらえないかと遠方ながら県内西部にある印刷会社を訪れ交渉したところ快諾を得たのです。 300部で前記見積の実に7分の1という結果でした。 ちなみに装丁だけは知り合いのプロに頼んでいます。 その後かなりの年月を経て同様の手段で『夢の海』『キルリーの巣窟』を単行本化していますが、今回のお話はその詳報というよりは、私が採った方法の功罪というか成果の総括というか、そういう内容になります。 素人の本作りが夢ではないことをお知らせしたいからです。 私が発行した小説全ての費用についてお知りになりたい方はこちらからどうぞ(➡ sikabannohiyou ) もともと私の私家版発行は同人など知人への頒布と図書館などへの寄贈のためでしたが、地元の書店経営者の理解もあり店頭販売や電話受注などもしてくれたので一定数は販売としての成果もありました。 最も注目されたのは『小説太田道灌』で私の直接販売も含めると100冊に達しました。 まぁ、これは例外で読書離れの昨今、無名の素人の小説がそんなに売り捌けるわけがありません。 や はり所期の目的どおり頒布と寄贈中心になったものです。 ちなみに処女出版の寄贈図書館については詳しい記録が残っています(➡ otadokankizousaki ) やはり単行本となると読者の感想は多方面にわたり数も多くなって、反響があればあるほど発行の意義は立証されます。 自分でやることがかなり大変なことなので尚更なのです。 
4冊の単行本私家版3冊出版1冊
私家版発行の効果 さて印刷屋から刷り終わった単行本が来て頒布、寄贈が進むのですが発行後に知ることができたことがいくつかありました。まず図書館に寄贈する場合1冊ではなく2冊になること、さらに国立国会図書館への寄贈は3冊となります。誰に寄贈しようがどこに寄贈しようがいつしか処分、破損、廃棄などで本がなくなる虞はあるのですが、この国立国会図書館は別ですので寄贈者の死後も遺り続けるというメリットがあります。寄贈すると受け取った旨の通知が来ました。(ほかの公立図書館では音無しも多々ありましたので扱いも色々なんでしょうが) また膨大な書籍を管理し閲覧請求にも便利なように記号番号が付けられます。『小説太田道灌』では書籍としてKH77-166でした。因みに同人誌『岩漿』も国立国会図書館に送っていますが、創刊号では書誌としてZ13-B770であり、最新号の31号では雑誌でZ71-V498とされて確かに保管されています。『孤往記』は唯一私家版ではなく出版社ありの仲間としてKH814-L452となっています。そうそう私家版も含め出版社により発行された本には「国際標準図書番号」(ISBN)というものがバーコードで本の裏表紙に13桁の数字で記されています。私の私家版3冊には当然ありませんが、『孤往記』には、ISBN 978-4-86543-053-0とあります。ところで本に定価の記載があるとなのですがISBNの下にもう一つバーコードが打たれています。「書籍JANコード」という日本独自の図書分類番号と価格コードなのです。私の本も定価は印刷されていませんのてこれは付いていません、価格が動くことを前提にしているためでしょう。もちろん私に価格設定権が無かったのであずかり知らないことですが。頒布と寄贈が目的ならどっちのコードも要らないでしょうというご意見も出そうですが、一つだけ「え?そうなの」と驚いたことがあります。実は自分の本ではなくずっと以前に買った本でしたが、引っ越しの整理のためとは言え廃棄は避けたいので古書店にもっていった中の二冊だけ、値段如何ではなく引き取らないというのがありまして、係員は2冊とも裏表紙にして見せて「コードがないから」といったのです。本来の書籍流通の対象にならない、ということなのでしょう。勉強になりました。                                                      著者が自作の単行本化に成功し勝手な満足感と大いなる興奮に包まれたとしても世間の人が皆同じように感じ祝福してくれるわけではありませんし、その本を期待を籠めて各所に無償で頒布し寄贈したとしても、別に相手方が皆待っていたわけでもありませんし喜んでくれる訳でもありません。このことは冷静に覚悟しておいた方が良いと敢えて申し上げておきます。もちろん受贈先からきちんと受贈通知が来ることや、それだけでなく読んでくれて感想をしたためて返信してくれる人もあり、その喜びは何にも勝るのですが、経験からすると発送した先からの各種反応は全体の3割程度でした。そのうち感想までいただけたのはさらに3割程度になります。ただ、最後まで深く読み込み評論家並みの真摯な文で批評が来ることはその数云々ではなく自費出版の成果と言えると思います。因みにその例はこのHPのベージ4に載っています。あと単行本ではなく同人誌『岩漿』を図書館に寄贈したときのことでしたが、館員の声ではっきりと「こういう本は廃棄処分にしています」と言われたこともありますので、もしかしたら単行本でも起こりうるのではないかと思っています。書籍番号が無い私家版ならなおさらの虞になるかもしれません、そうです古書店での経験のように。ちなみに伊豆半島の図書館では大丈夫だと信じています、当地のように正規の小説棚ではなくとも「郷土の本」という棚で公開されると思いますので。廃棄という処分を受けたトラウマで、『キルリーの巣窟』発行時では図書館寄贈の範囲を静岡県東部あたりまでに縮めています。観光ホテルの倒産を扱っているということで、本当は一番読んでもらいたい地域なのに反発を避ける目的が勝ってしまいました。出版動機を誤解される恐れが多分にある作品でもあったので。今でも我が家の本棚に数多く残っている私家版の本はこのキルリーの本です。さらに一般の書店でも私家版はあまり歓迎されません。ただ、この場合でも郷土の書店では少しく様子が良い方に変わります。書店は言わば流通書籍を扱うプロ、売れ筋の本が「良い本」なので仕方ありません。それで思い出したのが、著名出版社の電子書籍の公募に応じた時のプロ(編集者)の言葉でした。その出版社から発行する電子書籍として採用する、つまり有名な出版社発行というブランド取得ということだったのですが、①タイトルはこちらで変える②登場人物の謎の動きが大分先の方で読者に分かるような進め方なのでこちらで変える、と決めていました。変えていいですか?というニュアンスではなく編集者の当然の権利という風でした。経費額が私の経済的な許容範囲を超えていましたので残念ながら辞退しましたが、私の作品を完読したうえでの真摯な評論文にプロとしての「視点」を感じその自信溢れる姿勢にある種の感動を覚えたものです。当時採用された小説というのはこのページの中にリンクがある『無彩色の森』でした。以上私家版発行にまつわるあれこれを経験をふまえ記しました。読んでいただき感謝いたします。(2024/3/28)   
ラーメン とりあえずどう?
💛自作を総括してみました ◆①単行本  自作を整理する結果になったこの「蛙声の游び場」ですが、とくに気になった小説について雑談風に記してみたくなりました。 しばらくお付き合いください。 ◆過去3作の私家版と1冊のamazon販売本を出していますが、最も売れた本は調査から脱稿まで15年を要した『小説太田道灌』で300冊刷って100冊超となり国公立図書館への寄贈91冊と並べて私的には効果がはっきりと出ました。 もともとは道灌(どうかん)に限らず発行は販売目的ではなく図書館、友人、同人等への寄贈・頒布でした。 半年を過ぎたころでしたか、歴史的にどうかとか我が地域にも道灌は関係したのに触れていないなどの指摘を受け困惑しました、この作品本当は『蛟竜(こうりゅう)の角』と命名したのですが、資料がほとんどない武将なので創作で補うしか方法がなく敢えてタイトルに『小説…』と冠していたのですが、それでも出た「抗議」でして、以後私は歴史上の人物を題材にしなくなりました。 或る歴史小説家はたとえ史料をはじめとする資料を集め揃えたとしても小説にするにはその大半を捨ててかからなければならないと語っています。 ◆『夢の海』は執筆当時参加していた東伊豆町の同人誌『碧(あお)』の原稿として前半部分を用意していたもので、書籍化をするについては、その後参加していた小田原文芸の同人の方に電子データ化などで大変お世話になり、辛辣な指導ながら勉強になった点においては最高の思い出になりました。 ◆発行した本の中で小説として最も読みやすい記述になったと評されたのは『キルリーの巣窟(そうくつ)』でした。 ただこの本は図書館への寄贈が一番少ない本になっています。 刷ったのも200部でした。 観光ホテルの労使の方に読んでほしいとの執筆動機でしたが、目的が果たせたかは不明です。 『夢の海』と『キルリーの巣窟』はいまだに伊東市内の書店に並んでいます。 これは書店の厚意でとのこと、感謝をしています。 ◆『孤往記(こおうき)』は初めてプロの手を借りて出版し今もamazonで購入可能になっていますが、価格が本の体裁も含めてみて高めに設定されているとの指摘があり、販売部数が最も少ない作品になっています。 執筆動機が貧しさのために高校、大学とも昼間部に入れず昭和の激動の中で世間に完全に取り残された主人公の迷いや孤独を同窓生に知ってもらいたかったというにあり、少し姿勢自体に問題ありだったかなという気がしています。 今は亡き恩師に「これは君の伝記?」と訊かれましたが、伝記の形を採った小説ですと答えています。 登場人物、特に5人の女性はまるごと虚構で私の青春時代に彼女らのような人いませんでした。 真実の伝記にすれば必ず第3者を傷つける結果につながります、男女を問わずイメージモデルがいいところでしょう。 しかし余命が短くなった昨今、本当の意味の伝記を書きたくなってはいます。 自分自身の総括のために。(2024/3/28)
◆②同人誌小説 総合文芸誌『岩漿』に掲載に掲載した小説では、実験的に「こんなのはどう?」とばかりに、『冷川峠』のように落語風に語ったり、『戯れる木霊(こだま)』で狂った女や『薪樵る(たきぎこる)』で霊に憑かれた男を扱ってみたりいろいろ試作しましたが大多数の短編は「愛とは何、家族って何」という共通の底流に添い比較的真摯に(笑)プロットを重ねました。 個人的に好みな自作は私が編集長をしているときではなく、それを辞してからに多く存在します。 すでに亡くなっている男が謎解きの中心に居るという相続話の『ヘクソカズラの遺産』は起承転結の工夫に多くの力を注ぎましたし、別れた男の葬儀に出かけ深夜に独り棺に寄り添って眠る女の複雑な心を描いた『逮夜(たいや)の女』は実際の通夜の雰囲気を大事にしたということで「お気に入り」になっています。 意外に思う人は多いのですが、警察の取調に限って言えばかなり警察ものを扱っているんです。 『心の音』はそれが物語の中心になっていますし、『ヘクソカズラの遺産』もそうでした。 取調より捜査・推理がメインになる作品については自分でも不思議なくらい燃えました(笑)『狗(いぬ)にあらず』の前・後編や岩漿には長すぎるので投稿しなかった『連環(れんかん)』などがそれで、読むと不思議に体まで熱くなるんです(笑)生と死についてもかなりの作品の中で間接的には記しましたが直接踏み込んだのは短編では『やさしい姫鼠( ひめねずみ)』と『くぐもり声』で、長編では最新作の『無彩色の森』になります。 長編はもちろん『岩漿』外で5冊目の本にする予定でした。 この作品では愛って何、家族って何、生と死の繋ぎ目は何、のすべてに斬り込んでみました。 後期高齢にならなければこれは書けなかったと思います。 自分の最期が身近になって初めて見つめられる部分がある。 そう思うからです。 私は作者の家族や親族を題材にして書いた小説が好みではなく、自作でも例外的に『雪積む樒(しきみ)』で私と母のことを、また『朴(ほお)の葉の落ちるころ』で私と長兄のことを書いたにすぎません。 しかも後者は本人の依頼を受けての創作でした。 まあ、私の家系の場合、誰を採っても小説になるほどの波瀾万丈な人生なのですが、だから尚更題材にしたくなかったのです、見聞してきた事実だけでお腹いっぱいで。 或る同人から私はエンタメ系の小説書きと言われていますし「そういえばそうだな」と納得もしています。 じつはこの企画で意図的にとりあげなかった作品があります。 理由を挙げて並べてみます。 小説の中で解説している学説や法規が古くなってしまったという中編の『ツール』、指摘を受けたのは知り合いの法曹からでした。 じつはそういうことを未然に避ける工夫というのがあります。 創作段階で作中の事件があった時期、年代が分かるような台詞や地の文を入れておけばいいのです。 そうしなかった私のイージーミスでした。 次いで、最新設備を施したホテルを舞台にして設備主任だった男がタイムスケジュールで動く機器を利用して起こす密室の犯罪を扱った『心裡の解鎖』(しんりのかいさ)がそれで、犯罪の解き方が煩瑣に過ぎたからでした。 なんにせよテクニカルタームは厄介ですから読み物としては如何なものかという反省からです。 すべからく創作上の苦い経験は先々の肥やしなのですが、発見は公開後に第三読者として読み直さないとなかなか気づけないんです。 なにしろ脱稿した段階でもう浮き上がっていますから(^^♪ 以上で勝手な総括は終わりですが、最後に申し上げたいのは創る、書くって苦しい場面もありますが楽しいですよ、意外と、創作過程でいつもと違った自分に出遭ったり、人物関係図を作っていると人や物事を多角的に見詰める良い癖がつきますから。 生来短気な人も、つまり私もですが、知らぬ間にイライラしたりすぐ腹を立てたりなどが減っていきます。 これは趣味文芸のご利益だと実感しています、ハイ。 もう一つ、創作物を公開したとたんにそれらは「一人歩き」を始め読者それぞれの受け取り方をするということで、もしかしたらそれは作者自身が気づかなかった「自分再発見」に繋がるかもしれません、ぜひお試しください。 ではまた。 (2024/2/29)
 珈琲ちょっと喫茶 
💛生じた疑問 ◆①紙媒体の文芸誌は生き残れるのだろうか このページを創り月毎に少し毛色の違う自作を掲げてから早いもので16か月が過ぎました。ほかの頁に掲げたものと併せると馬場駿の小説がほとんど全てあるということになります( 私の全作品➡babasakuhinichiran )。43年ほど前に山梨の里山で偶然に知り合った国立大学の先生と『岩漿』や私の創作本など文芸を通じてお付き合いが続いていたのですが、彼には、私の文芸活動は趣味ではなく私の生涯の「かたち」であり「生きた証」であろうという意味のことを告げられたことがあります(この先生との関係性はGoogleでこのHPを検束すると判ります)。そのときからすでに10数年、何だか私自身もそうかもしれないと思うようになりました。このページはその想いの表白なのかもしれないと。特に脳梗塞罹患後退院してからはほかのことが何もできない事情から文字通り文芸三昧の日々をおくっていたと言え、元国語教師の旧友から羨ましいとさえ評されました。その間の総仕上げとも言えるこの無名の同人誌作家のHPを訪れてくださった方々には感謝の言葉しかありません、大いなる励みになっていたのですから。キツイと感じた回もあったのに継続できたのもそのお陰です。ところで電子データのない旧作の全頁打ち込みは、ブラインドタッチならいざ知らす雨垂れ打ちの上に眼疾もあったので難儀でした。もつとも苦難ばかりかと言えば違います。旧作の欠点や不足を現段階のレベルで改編したり再校閲できたからです。まるで他人が創作したように感じるほどの第三読者の目で作品を熟読玩味できたのは貴重な経験でもありました。その過程で、かねて指摘されてきた漢字の数をできるだけ少なくすることや普段使わない漢字の訓読みについては( )内にルビ代わりの仮名表記をすることなど昨今の読者傾向に対応したりもしています。紙媒体の文芸が激減しSNSで用いられる文体も大きく変わりました。私だけでなく交流している詩や短歌の会の同人の方々も近い将来紙媒体の文化・文芸が衰退していくのではないかと憂えています。一方で危機感を抱いた人たちが全国規模で頑張ろうとしている姿も力強く存在します。一例として九州に本部を置く「文芸同人誌案内」をご覧ください。まだまだ頑張れるぞと力をもらえます。➡ http://hiwaki01.sakura.ne.jp 
ショートケーキ コーヒーはブラックだったのでケーキをいかが?  
◆②文章そのものの土台が変わりつつあるのか 冒頭で掲げた先生に同人誌『岩漿(がんしょう)』を毎号寄贈していたのですが彼はこんなことを何度か書き送ってくれています。「これを読んでいると何か落ち着くんです」と。学生たちの文章に日々触れていると何かが変わってしまったような気がするということらしいのですが、実は私も当時は編集もしていましたので同感でした。同人から「文章に昭和を感じる」と言われている私ですから若い書き手からすれば逆も亦真なりでしょうか。擬古文(ぎこぶん)、言文一致、旧仮名遣い、漢字制限、片仮名外国語の氾濫、差別用語の使用禁止など、言葉も文章も時代を追って変遷を促すあれこれが出てきましたから世代間で感覚が異なるのは自然だとして受け取るべきかもしれません。「言葉は生きている」として納得してもなお昨今の文化や世相は文芸の世界を転生させる勢いを感じます。 ちなみにその流れを危惧させる現象を順不同で単語のみで羅列してみます。すでに知られているものばかりなので注釈は無用だと思いますので。電子メール、SNS(フェイスブック、インスタグラム、ツイッターなど)、SMS、ブログ、匿名サイト、電子書籍、Kindle、スマホ、配信、炎上、ライトノベル、電子版、コミケ、軽薄短小、英語日本語共に略語の氾濫、言葉狩り、学生・女子高生などの符丁、原作コミックの脚本、プライバシー、流行語、掌編、ためぐち、ハラスメント、漢字離れ、ツンドク、英語重視、国語審議会、キラキラネーム、活字離れ、LGBTQ,読解力、OECD調査、本屋大賞、自動変換、AI… これらが何で、どう文芸の転生、あるいは破壊につながるのかはご推察ください。アバウトに論じて参りましたが、変化が不可避ならそれはそれとして一つの時期乃至時代に活きていた文芸の型はそのまま残すべく真摯に取り組めばいいのではないかと、そんな風に思います。                                     ****自前のホームページであることをいいことに全編にわたり少し生意気なことを書きすぎたかもしれません。ただ、「蛙声(あせい)」には「つまらぬ者のいう言葉」という意味もあると或る書物で知って「ピッタリじゃん」と自虐を含め人生最初の筆名にしました。解りにくいと評された私を唯一信じてくれた経営者の名前「馬場駿」を筆名に使わせていただいた今も愛着を持っている所以です。いずれまたページを増やし違った挑戦をしたいと思っています。ご支援、ありがとうございました。2024/1/28
本屋さん💛(^^♪ここの本は推しではなく読むと引く類かも                   ◆中編➡ 『色あせたデコイ』 私の処女小説(1997年)で公募に応じた1作目にもなります。怖いもの知らずで書いた作品で突っ込みところ満載だったので2023年に大幅に推敲しました。ラストの事件が衝撃的ですが、著者としては女主人公の不幸を非難できませんでした。皆さんはどうですか? ◆中編➡ 『空に映る海の色』 この作品は2009年伊豆の南熱海海岸を取材して書いた地域舞台という最初の試みでした。或るベテランの読み手の方が、これは人間を通して海そのものを書きたかったんだよね、そう評してくれたのがなぜか嬉しかった記憶があります。◆短編➡ 『小説・現姥捨て』 2016年いろいろの白書を漁り構想をひねった記憶があります。作品はあくまで虚構、ええ、小説なので経済記事的には読まないでください。ラスト近くの雑誌記者のやりきれない心象をどうか想像してください。 ◆短編➡ 『戯れる木霊』  この作品は私にとっては実験小説でした。小説と言えるのかと突っ込みもあろうかと思いますが同人雑誌だから可能だったのかもしれません。これが載った『岩漿』をみて作者の、つまり私の心は大丈夫なのかと心配したご夫婦が熱海からアポなしで私宅へ訪れたということで深い記憶のある小説です。その後すぐに旦那さんが同人になってくれました。結果良好、でしたよ(^^♪ 
               ヒロイン佳江 2023年 蛙声画/色鉛筆 小説に登場させる人物の容姿、イメージを濃くするために自分で描くことがあります。このヒロインは老女、若いときの顔を老けさせる工夫が楽しかった。
色あせたデコイ 1997年 蛙声画/自筆カット/ いまは大谷君のデコピンでお馴染みですね。自然児と悪女の両面持つ女とすでに色香を失ったデコイ、それをモノクロでイラストしました。
カメラで絵を描く カメラで絵を描く感じで
💛私的エンタメ (縁貯め)①
 三浦按針/横須賀と伊東/ドラマ将軍絡み
 あんじん   
按針と同じ? 横須賀(生活域)と伊東(現住地)💛 配信に未参加なのでまだ本編を視ていないのにもかかわらず、毎日のようにYouTubeで紹介記事を読んでいて、米国産のドラマ『SHOGUN将軍』をぜひ視たいと胸躍らせている私がいる。三浦按針(ウイリアム・アダムス)は英国の航海士にして貿易家、関ヶ原の戦の少し前に来て難破し救助はされたが捕らえられる羽目に陥った。幸い命の救い手徳川家康の言わば外交顧問のような立場になり、その家康に造船を命じられる。按針は本国で船大工の修業も済ませていたのだ。このミッションを果たすため静岡県伊東市(現在)にやって来る。作業現場は松川の河口と言うのが通説で上記按針メモリアル公園はその河口に面している。他説には同じ河口に近いものの松川支流の武田川に入った所というのがある。この川、その場所は私が今住んでいる建物のすぐ傍なのだが、とても造船が可能な川幅ではない。しかしことは家康の時代、当時の川幅など誰が知るだろう(笑)それはともかく按針は当地伊東で80トン級の船の建造に成功している。気を良くした家康は次いで120トン級も造らせているとか。時系列については定かな知識はないが、按針は神奈川県横須賀市逸見(現在)に所領を得、家康の旗本にまで抜擢されている。この按針、結局英国には帰れず日本で最期を迎えるが、その墓というのが横須賀市の塚山公園にある。東京都内と三浦半島先端までをつなぐ京浜急行に乗り安針塚という駅で降りればすぐ分かる。この横浜市南端と横須賀市北端の地域は私が青少年時代を過ごした場所でこの公園にも数回訪れている。家康がいた戦国時代から彼が開いた江戸幕府の施政下、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、アメリカなど実に多くの覇権国が日本の「植民地化」を狙い、結果的にその野望は果たせなかった。難しい理由は多々あるのだろうが、私の勝手な想いの中では、戦闘能力に長けた武士の存在が日本を外敵から護った、そう信じている。殺傷力のある刀を日常的に腰にぶら下げている人間だらけ。そんな国が日本のほかにあるだろうか。この理は幕末の薩英戦争ほか幾多の例でも納得がいきます。海上から何発大砲をぶち込もうが軍事占領をするには上陸しての白兵戦勝利が不可欠なのです。260年以上独立と平和を確保した徳川幕府はその意味でも評価されるべきでしょう。それを開祖家康に開眼させたともいえる按針、もっと評されてもいいかもしれません。
                            
                    💛******************
 💓残し棚という名の資料棚
💛(11)同人誌作家馬場駿の記録➡ babasakuhinichiran
(10)創刊から19号の分岐点までの岩漿の流れ「散ってなお花筏」➡ hanaikada2
(9)同人の心のマグマは冷えるときがある「岩漿とはマグマのこと」➡ magumahieru
(8)これぞ会報の「転生」、『岩漿会報core14号』➡ core14                            
(7)自分を俎上に載せて語る馬場駿の『詩の世界』PDF➡ sinosekai2
(6)大病を抱える夫と伊豆に来た雪国の老女は『輪かんじきの跡』PDF➡ wakanzikinoato
(5)少子化議論への小さな土台として「親の子から社会の子へ」PDF➡ oyanokokara
(4)「生きるに値しない命」それを誰が決めるのか PDF➡ soreodaregakimerunoka                
(3) 実際にありそうな「対応」MEMO「旅館さんガンバッテ」 PDF➡ ryokansanmemo
(2)小論文序章としての『旅館さんガンバッテ!』  PDF➡ ryokansan
(1)国民年金について一緒に手探りしてみませんか   ➡ (2018年) kokuminnenkin    

inserted by FC2 system