蛙声の游び場         
💛本館とは毛色が違う作品です
こういうのも小説かなあと悩みながら創った同人誌用の短編。反応はほとんどありませんでしたが、或る日同人でない一般読者のご夫婦が遠方から車を飛ばして来て我が家に辿り着きました。たまたま私は留守だったのですが、妻が応対しました。お二人が曰く「こういう小説書く人って大丈夫な人なのか」と心配になり(笑)いっそ訪ねてみようと決めたとか。「奥さんは普通の人ですね」と言われた妻は困惑したとか。この旦那さんはこの後岩漿の同人になってくれました。小説の形式は未だかくあるべきという確たる決まりはないとか。それを頼りにして、幻想的に(妄想するままに?)創り上げた記憶があります。宜しければご一読ください。                           (2007年作品)馬場駿              『戯れる木霊』(たわむれるこだま)2007年 ➡ tawamurerukodama
💗ツンドク積読corner*そこに愛はありますか💔
(2)『傾いた鼎』(かたむいたかなえ)2015年 青年3人の視点で一時期を捉える➡ katamuitakanae
(1)『入相の鐘』(いりあいのかね)1995年 画家と作家とモデルの愛の三つ巴を描く  ➡iriainokane
  
海辺の湯の街
💗五花タッチ 
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♥「これも小説なんだ」

YOUR NAME②  馬場駿

 初めて「小説」なるものに触れたのは中学2年のときで国語の先生から「読んでみるか」と手渡された『若い人』(石坂洋次郎)だった。折角なので読んでみたが何の感想も伝えていない、正直なところつまらなかった。この小説3度も映画化されていてその中の1作は「おとな」になってから鑑賞したが、その時の印象も薄い。蒼い心への刺激が無かったのだろう。成人になってから当時友人だった女性から数度にわたって「読んだら」と小説本を貰った。自分は読んだからあげるということらしいので気楽に読み始めたのだが、これらはかなり衝撃的だった。最初に呼んだのが『わが解体』(高橋和巳)、中国文学者の著作だが、小説として読んで「えっ、小説ってこんな書き方するものなの」と少しく驚いた記憶がある。じつはこの作品、長編エッセイという説もあるようだが。彼女からは『悲の器』も来たが、完読はしたものの皮肉にも私から小説なるものを遠ざける結果になった。考えさせる効果はあっても面倒な代物、そういう感じを受けたのだった。その後、当時はあった学校管理員という有限の仕事があり、そこで友人になった国語教師から「すごいから」と『紫苑物語』(石川淳)を勧められた。読んで衝撃をうけた、綺麗で流れるような文章だったのだ。「これが小説」、いいなぁという単純な憧れだったかもしれないのだが。この後の15年ほどの間に「これも小説なのか」といちいち驚く私になる。一番上の兄が読み捨てていた『点と線』(松本清張)、いわゆるアリバイ崩しの推理小説の嚆矢とも言えるこの小説が私を推理小説にのめり込ませることに。本を買う金など無かったが全て兄のを利用できたことも大きい。たしか時系列的にはこの辺りだと思うが、とんでもない大作に出遭っている。『徳川家康』(山岡荘八)がそれで、文庫本で26冊もあるのだが、とりあえず2回、全部読みをしている。面白いということの大事さをこの作品で教わったと言えるだろう。時代物なのにまるでその場に居て見聞きしたような会話を創り出している凄さ。これは衝撃だった。ここからしばらくの間時代小説に嵌まる。ただ、違う意味の衝撃も受けることになる、『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)の史実、史料を大事にした創り方とでも云うのだろうか、事件描写の流れの中で突然、ここで長州について少し語る、というように解説を飛び込ませる手法すら取り入れているのだ。これは目から鱗だった。
 竜馬惚れのあとに長く小説から離れる期間が訪れる。ここから先はもう読んだ順番も入手したプロセスも記憶がはっきりしない読書が続く。その中でも後に自分の創作に影響を与える出遭いはあった。同名の映画を観て原作に当りたいと思い短編の青春小説『スローなブギにしてくれ』(片岡義男)を入手した。ほとんど台詞で通すような印象をうけ、説明じみた文が無い凄味のようなものを感じた、よほどの自信が無いと不可能なのではないかと。さらに『ひかりごけ』(武田泰淳)、この短編は私を釘づけにした。極限状態に置かれた人間の生と死、人として死ぬか、獣になっても生きるかという究極の選択の是非が、法にいう罪や刑罰と絡めて読むものに訴えかける。法学よりも精緻な突き詰め方に驚いた。よく引かれる「カルネアデスの舟板」が想起される小説だった。次いで『夏の闇』(開高健)、のちに凄絶なる私小説なのかと妄想すらした長編で、眠る、食べる、女と交わる、を飽くことなく綴り続ける中で、生と性を極限まで突き詰めた後、男が戦地に赴くラストでそれが生と死に直結していたことを知らせる仕組みに仰天した記憶がある。確かめたくて2度読み直したことも。これは最近の部類に入るのだろうか、『容疑者Xの献身』(東野圭吾)、賞取りという文芸的な評価もさることながら、犯罪小説と云うものは、罪を犯す側の緻密な解析が不可欠なことを教えてくれた大事な作家だ。それなので、この人のエンタテインメントに傾いた推理作品はあまり好きではない。ここまで書いて、私を小説創作に導いてくれた作品を振り返ってみて、とくに伊豆に来る前の人生において、友人知人の助力無くしては小説の扉は開かなかったことに改めて気づく。この稿で掲げた冊数は少ないが、実際に貰い、または借り受けた本の数はかなりの数だった。何しろ生活費と独学経費で一杯一杯の生活が続き本の購入と言えば教科書、参考書、問題集関係が全てだったのだから。10年ほど前に「小説論」と言うべき本に接し、いまだ小説にはこうでなくては小説とは言えないという意味の決まった形式はないと知った。ここまでの私の受けた「これも小説なのか」は、それを知らないがための衝撃だったと言えるだろう。ホッとしたり恥ずかしく思ったりした記憶は比較的新しい。
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                                                       💛 寒蛙が考える💗
⑴国民年金は国民の生存を保障する仕組みなのか (馬場駿)
 これは生前里山に住んでいた兄から少なすぎて疑問だとする照会に応じた一文です、国民年金は保険ではないのですか、どういう計算式で月当たり4万ていどの金額というのが出るのですかなど・・・
   一緒に手探りしてみませんか   ➡ (2018年) kokuminnenkin    

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