短編をたのしむ 更新⇒ 9/29 10/1 2024/12/17 12/25 2/16 5/2
⑴ 追加改訂同人誌作家馬場駿の創作記録 1997~2023
■一言で総括すると、自分の文芸歴は同人誌の中で終わったと言えます。単行本こそ4冊を数えましたが、経済的な理由もあり、ほとんど私家版で終わりました。それがいいかどうかは、「私」ではなく筆名「馬場駿」が心して決めることでしょう。自分自身の整理のために作品一覧を作ってみて少しく驚きました。量的にはずいぶん頑張ったんだなと。誰か一人でもいいし、一作でもいいから興味がある人に引き出して読んでもらえたら、そんな気持ちで表に掲げたほとんどの小説にリンクしています。改編、改題、打ち直しとHP掲載に合わせて自作の見直しもしています。
同人誌作家の軌跡 ➡ babasakuhinichiran
⑵ブログもまた短文の世界
ブログ(blog)とはウェブログ(weblog)、ウェブの上の記録のことですが何を記録するのでしょう。私は広義の「こころ」だと思っています。そう思っていろいろな人のブログをサーフィンすると、その 人と実際に出会ったような気がしてきます。
ここでは私の私的ブログ「老馬がゆく道」にご案内します。「ローマは1日にしてならず」に「触発」された見え見えのタイトルですが、読みは「ろうば」です。再開に際してタイトルを「フーテン老人日記」にしようかと思ったのですが、谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』がありカタカナでも失礼になりそうなのでやめました。旧ブログとは異なり不定期に且つ気楽に書いています。記事のランキング参加のためのバナーは2021年11月にようやく貼りましたが、まだまだ訪問者は限られています。それでも続けるのは、これもまた自分自身の中に入る「心の旅」だからかもしれません。
➡ 馬場駿のブログ「老馬がゆく道」 http://rojinnogen72.blog.fc2.com/
(3)奥が深かった俳句の「世界」
💛『パソコンで黄金の週旅の空』蛙声 ~高齢で障碍者のせめてものGW~
(パソコンでおうごんのしゅうたびのそら) 観光地は外人だらけ人だらけだ
あいかわらず駄作で恐縮。ただ自分が楽しむためだけの句です。マスコミがさわいでいるゴールデンウイーク、こちらは毎日YouTubeで国内の観光地の画像を追いかける日々。(^^♪免許は返納、車は廃車、頼みの手足は半麻痺で、オラこんな日々ヤダァ。べらんめえ! こちとら365日の連休だい、羨ましいだろ、クソッ。そんな気持ちで悪戯書きしてみました(笑) (蛙声)
岩戸句会の雲水先生の世界をネットで見ることができます。
➡ 岩戸句会の俳句 https://blog.goo.ne.jp/issyo_2010/
もう20数年前になるでしょうか、職場で陶芸の教室を開いていた雲水師匠のお誘いで句会に2,3度参加させて頂きました。句会のルールに従って学んでいて思ったのは「17文字」の文芸の奥深さでした。もっとも頭を掻いて遠慮する必要も無く参加しつつ上達を志す途もあったのですが、何千何万何十万と文字を連ねる小説世界に戻ってしまいました。たくさんの自由時間があるいまでは少し後悔をしています。私は未熟なまま失礼してしまい雲水先生には申し訳なく思っています。
(4)デジカメフォト・むかわと私 (2022年掲載) ☆里山山荘に独り籠もった頃
昭和53年、アルバイトや期間従業員で食住を賄って司法試験合格を目指していたが、絶対的に金も時間も足りず結果的に数年を無駄にした。6カ月肉体労働をして6カ月勉強するという方法しか叶わなかったので知識の集積と保存が上手くいかなかったと気づき、僅かな貯蓄を頼りに、まだ永続的に人が暮らせる状態になっていない「工事途中」の兄購入の里山(写真)に籠ることにした。先は見えないが突き進むうちに何かが開けることを信じたのだ。トイレも風呂もなく電話もテレビもない生活、もちろん携帯電話など無い時代のこと。翌54年目指した受験の年の晩冬に突然高熱と下痢を発症し、まともに動けなくなった。沢の水を汲んで渇きをいやし、ひたすら眠ることで回復を待つ、食べることもできなかった3日間。このまま死ぬのか、そんな気にもなったが、4日目になって回復をした。起きて4日前につくった煮物を鍋からすくい口にしたときの、全身の血が胃に向かって走るような感覚が忘れられない。「生きられた」そう思ったら涙が出てきたのを憶えている。このあと5月の受験で2次短答式試験に合格する。しかし期待したことは起こらず、身の周りは何も変わらず、暮しと受験の先行きは真っ暗なままで、すべてが終わった。
場所は山梨県北巨摩郡武川村(当時の所在名) 左のプレハブは倉庫
想い出アルバム
/昭和53年
南アルプスから下ってくる清流でこの下流で大武川、釜無川と名を変える。
里山籠りのさなか、気分転換に軽装でふらりと林道に入り奥へ奥へとひたすら歩いた。弁当も持たず水筒すら携えず上着はTシャツのみ。四十年以上過ぎたいま振り返っても無謀の一言で震えすら起こるレベルの愚かさだが、このときは何も考えていなかった。イシウトロ上流の水を飲み、林道の湧き水を啜って登り続けた。途中雄鹿の成獣にも遭遇したが何事もなくやり過ごして呑気極まりなかった私。天候が良かったからいいものの荒天に変化すれば命にもかかわるという「冒険」だった。北岳だけに向かう道と分岐するらしい標識を見てさすがに急いで戻ろうと慌てた記憶がある。今ではほとんど笑い話でしかない。往復で遇った人間はヤマメ釣りで沢に居た青年一人だけだった。
💛(5-1)エッセイも面白い
しかも女性に化けた筆名 高島京(みやこ) は少しクセのある書き手、このキャラクターをあえて使った訳は、同人誌岩漿3号で書き手の人数と作品が少なかったので編集長として思案投げ首、苦肉の策として架空の同人を創り出したのです。何しろ創刊号から10号までは年2回の発行でしたから。それに当時は皆さん職場で現役だったのですからやむを得ません。だからと言って頁割負担金がありますから京さんの作品はほとんど1ページで済ませていました。その程度の負担で女性のふりをして好き勝手な文を書いていたのですから「もうけもの」と言えるかもしれません。
💛ファッショ嬲る(ファッショナブル)2000年➡ 2nabur
(5-2)私小説 『雪積む樒(しきみ)』 (2013) PDF 13p
『雪積む樒』➡ yukitsumusikimi
50作ある私の創作中に唯一ある私小説で、私と亡き母との間にある心の微妙な断層を中心に描いている。大正生まれで貧しさと母親(私の祖母)の無理解によって尋常小学校しか出ていないのに世の荒波の中に放り込まれた母は、本当に自分の子どもの教育など考えてもいなかったのか。漢字もろくに書けないなかで自分の手で書いた彼女の伝記、兄に頼まれてそれを校正編集し、『しきみのように』と題してレザック表紙で100部発行することに。そのあたりの微妙な日々が描かれている。短編なので読みやすい。
写真は扉に使ったもの
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(6)愛の叢(くさむら) 人の心の中に棲む愛という不思議なものを多角的に見詰めて
☆11p→数字は作品の総頁数を表します。尚、同人誌への発表年度は順不同です。また、このコーナーに居た中編『ヘクソカズラの遺産』は「蛙声の游び場」に移しました。
◆『逮夜の女』 ➡taiyanoonna 「これからは思い出すことが罪になるのね」11p
◆『優しい姫鼠』➡yasasiihimenezumi 必要とされる、今のわたしにはそれが一番なの」14p
◆『冷川峠』➡hiekawatougeあなたが想う青年は一度だけ、私は一生あなたを助けます」29p
◆『砂を噛む蟻』➡ sunaokamuari 見返らぬ人にも尽くせこぼれ萩、これを贈ります」21p
◆『くぐもり声』➡kugumorigoe「寂しすぎる。やっぱり君だけは最期まで信じていたい」9p
◆『心の音』 ➡kokoronooto「心が先に離れるのか体が先か。ときめきが消えたときだ」25p
◆『閼伽桶胴』➡akaokedou お前何かをふっきりたくて太鼓打ってるんだろ、分かるよ」26p
◆💛『未開封』➡mikaifuu「会いたいと書き続けて死んだ男と一通も読まずに拘った女」48p
◆『一人静抄』➡hitorisizukasyou「少しは男の人に想われたことがあったっていいでしょ」16P
◆『屑籠の檀』➡kuzukagono「生け花の意味は檀は人の道、竜胆は倫道、私の声を聞いて」17p
◆『耄~タナトスの抱擁~』➡pdfbou 「俺は三次元の女を見たことがないんだ…」28p
番外◆『石爺の家で』2018年➡hontoniwakare 執筆時は冒頭のタイトルで、地域を題材にする文学賞に応じて創ったもの。窮屈な中で楽しめたのは大人びた子なぎさのお陰だった。400字119枚 ちなみに『岩漿』には載せていない作品。
(7)脚本 シナリオは映像化を前提にしているので創作するには格別のときめきがあります
いまも手元にある「味蘇帳」という名の大学ノートには、まだ若いころ渋谷で催されていた「シナリオ講座」に通っていた時の受講メモがかなりの量で存在します。勤め先が安定せず毎日が心折れそうなときでした。受講後公募先を探して応じた記憶があります。精神安定剤の役目は果たしたと後に評価している私です。それから十数年も経って県の公募に応じたのがこの『刻(とき)をつづれば』で、決戦の2作品というところまで残っていましたが、リアリティに欠ける点があると選外になりました。私には稀有なハッピーエンドでしたので今まで保存しておきました。
◆脚本『刻をつづれば』 ➡ tokiotudureba 本来縦ですが横書きで保存 PDF 24page
傀儡(くぐつ)=操り人形
何もないのに創ったのか何かあって書いたのか、半世紀近く経って箱から出てきた色紙。当時から蛙声を名乗っていたらしい。カットまで描いていて笑える。このコーナーに居てもいいかなとは思う。
(8)寄稿 世に知られた専門家はともかくとして格別何もない私では寄稿はほぼ短文の世界です。かつては、現在登録を抹消していて使えませんが「非開業社会保険労務士」として、或いはこれも退会して今はOBになっていますが「岩漿文学会代表」として、地方紙などにしばしば寄稿をしていました。「楽しむ」とは違う世界ですが字数が少ない中での工夫が勉強にはなりました。著者からをはじめ反応も多々あり、有意義でもありました。尚、寄稿は五つとも本名でしましたがここでは筆名にしてあります。
単行本の読書感想の寄稿として伊東市内の作家永井秀尚の小説が最初だったような気がします。
◆①永井秀尚著『身を尽くしてや恋い渡るべき 小説小倉百人一首余聞』➡ miotukusiteya
◆②相原ゆう著『「柊の花」を読んで』➡ hiiraginohana
◆③辻葉子著『輪かんじきの跡』➡ wakanzikinoato
◆④永井秀尚著『修羅の巨鯨 伊東祐親』➡ shuranokyogei
◆⑤小倉弘子著『律子の肖像』➡ ritukonosyouzou